2016年1月19日火曜日

1/16 伊藤チーム稽古②

1月16日晴れ
参加者 出村さん 照明の山口星さん


今日は、稽古場に照明の山口 星さんが来てくださいました。

まずは体を動かして、温めます。
筒井さんチームのブログを読んで、寂しくなったという出村さん。
確かに、賑やかな筒井さんチームの稽古場風景を見ると、それもわかります。


今日は2つのワークをしました。
一つは言葉を当てたい人に当てるというワークです。

一人が二人の人の後ろに立ち、どちらか一人に後ろから「こんにちわ」と声をかけます。
今度は、声をかけられた二人は、自分が声をかけられた、と感じたら手をあげます。






これが意外と難しく、声をかけられる側は、声が自分にあたっていても、間を通り抜けているように感じて気づかなかったり、当てようとしてもなかなか気づいてくれなかったりもしました。

また声をかける側とかけられる側は少しずつ離れていくのですが、人によって
近い方が当てやすい場合と遠い方が当てやすい場合もあるように思いました。

また同じ「こんにちわ」でも伝わりやすい「こんにちわ」と伝わりにくい「こんにちわ」
があるなあとも思いました。
その違いは相手との距離や言い方、投げ方、声の高さや質みたいなものも関係しているように思いました。

私も参加しましたが、私は自分に声をかけてくれているのに無視していたら悪いという邪念が出てきてニュートラルになれず、とても難しかったです。

参加された山口星さんは、比較的ニュートラルに手をあげていました。


この動画の伊藤さんは出村さんに「こんにちわ」をしっかり当てています。
出村さんもちゃんと受け取っています。




声が当たると、当てた方は嬉しそうです。



二つ目のワークは、以前プレ稽古でも行った「いたこワーク」をしました。
出村さんがプレ稽古には来れなかったということもあり、今回「いたこワーク」をすることになりました。

伊藤さんと出村さんがペア、そして私と山口さんがペアとなり、いたこワークをしました。

いたことは、死者を降ろしてくる特殊能力をもつ人のことです。

イタコ 
日本東北地方などで口寄せ[1]を行う巫女の一種。 シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である。 
Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%B3

とはいっても、おどろおどろしいことをするわけではなく、一人はイタコ、もう一人はイタコにお願いしにくる人をやる「いたこゴッコ」をします。

いたこワーク

・準備 
①ペアで顔を見つめ合う(7分) だれかに見えてくるように見つめる。
そのだれかは、身近な人でない方がいい。もう会えない人や、時間を飛び越えただれかの過去や未来などでもいい。
②見えてきた人についての情報を聞く。

・ワーク
①見つめ合う
②ペアの一人が相手に見出した人物をやってもらうようにお願いする。
③見つめ合う
④見出された側の人物はその人として存在する。
無理してその人物をやろうとしたりせず、ただそこにいること。

いたこワークは伊藤さんが仙台で昨年行った「もっと見ろこともなげに」という作品でも取り入れられていましたが、そのときのワーク、そして昨年のプレ稽古から比べて、
いたこ側はどんどんなにもしないというルールが強くなってきています。

今回のワークでは特に、ただそこにいる、その人としていること、というルールが強調されていたので、いたこ側をした方はほとんどなにも話さず、少し動いただけでした。
ですが、あまり動かない方が、見ている方としては注意して観察しようとする気がしました。
また、今回はイタコにお願いする側も、積極的にすごく話すということはなかったので
余計に、見ている方は何を言うのか、どうなのかとよく見ていました。

写真は伊藤さんと出村さんペアで、伊藤さんは、出村さんに演劇部の先輩をやってもらい、出村さんは、伊藤さんに同級生(女性)をやってもらいました。

伊藤さんは、最初もじもじしていて、ちょっと話し、それからにやにやしていました。
出村さんは先輩としてそこにいました。



その後、出村さんは、同級生の友人を伊藤さんにやってもらいました。
同級生に対する出村さんは、ZOMBIEの稽古場で見たことのない雰囲気でした。
イタコ役の伊藤さん、同級生はちょっと嬉しそうに見えました。

イタコのワークは、どこまでが演技でどこまでが本人なのかがすごく見えにくくて
やってみると、自分もそれがわかりませんでした。

私は山口星さんの、おばあちゃんをしましたが、山口さんからのストレートな言葉に
ぐっときてしまいましたが、おばあちゃんとして(役として)なのか、自分としてその
ストレートさにぐっときているのか、その両方なのかはわかりませんでした。
イタコをするのは、だれかになるというよりも、身代わりになる、というような感じがしました。

また山口さんには私の叔母さんをやってもらいました。
やってもらって感じたのは、イタコ役の方には、ただそこにいてもらうだけでいいということでした。
その方が何か動いたり話されるよりもずっと、見たいものを見られると感じました。
(こう書いてみて、自分が見たいように見たいと思っていたことに気付きました。)

そう思うと、このイタコワークというのは、
イタコをお願いする側が力をもっているのだと思いました。
そしてイタコ側は、相手が自分にだれかを写していることを感じつつ、そこにいて、
お願いする側の反応に影響されたり、それに反応したりする。
イタコは、お願いする側にだれかを見出してもらうことで、イタコとしていられる。
だからイタコさんなりの表現というのはそこには必要ない。
でも、イタコがだれかとして見出されることで、イタコがそのだれかとしている状態が
、制限された中での表現(?)となる。

ここで少し疑問に思ったのは、もしイタコ側が、だれをやるかの具体的な情報を伏せられていたら、このワークは成立しないのかな?ということでした。
イタコを見る側は、会いたい人ということもあって、わりと見たいように見れると思うので、そのように見られればイタコ側はそのようにそこにいられるようにも思いました。

何回か見たことはありましたが、やったのは初めてのワークでした。
不思議なワークでした。



稽古後、近くのフードコートで、今回の作品とタイトルについて、
伊藤さんと出村さんで話あいました。


伊藤さんとしては、この作品のことを一人で決めたくない、出村さんの意見も聞きたいとのことで、話をしました。
話の中で、出村さんからは、「もっとポップに」という意見がでていました。
出村さんからそれを聞けたことが伊藤さんはよかったようで、嬉しそうでした。

さて、タイトル、作品、どうなるのか、、、、ぼちぼち決まってきそうです。
お楽しみに。

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